(市川 2001) 英語を子どもに教えるな 第1章、第2章

英語を子どもに教えるな (中公新書ラクレ)
過激なタイトルである。しかし、内容はそれほど過激ではない。事実を淡々と積み重ねていく。

第1章 在米日本人子女と過ごした13年

海外子女の学習方法の選択肢の一つに、現地校+補習校(塾)があることは、前記したとおり。

英語圏に来た多くの日本人子弟は、「現地校」と「補習校」の組み合わせで学齢期を過ごしている。もちろんニューヨークのような大都会では、進学塾が進出していて、日本人の子どもの補習校離れ、日本人学校離れが問題になってきている(朝日新聞 1996.6.18)。

この本の著者はこの「塾」の講師として、13年間アメリカで日本人児童を教えてきた。教え子の総数は、800〜1000人に及ぶという。この間に出会った様々な教え子について、淡々と語られていく。

第2章 セミリンガル化する子供たちー母語喪失の危機

前記したとおり、アメリカのバイリンガル教育の実体は、過渡期バイリンガリズムである。

過渡期バイリンガリズム transitional bilingualism
主要言語の授業についていけるようになるまで一時的に2言語を併用するもの。米国のバイリンガル教育はこれで、最終目標は主要言語(英語)のスキル上達のみ。母語がどうなるかは気にしない。

ESLの期間が過ぎてある程度英語ができるようになれば、学校では母語は捨てられる。母語の維持・発達は基本的には自己責任で行わなければならない。ではこの環境でバランス・バイリンガルを目指すためには、どうすればいいのか。何に気をつければいいのか。

まずは、英語の問題。アメリカで英語の授業を受けているからと言って、英語を「完全に」マスターできるわけではない。

子どもが日常会話言語を取得するには2〜3年。教科理解言語を使いこなすには5〜7年かかると言われている。子どもがアメリカ人と「ペラペラ」話し始めたとしても、日常会話言語を身につけた段階に過ぎない。むしろこれから先、抽象的思考のために必要な「教科理解言語」を身につけられるかどうかという大きな壁が待ち受けているのである。

英会話をペラペラ話すことと、バランスバイリンガルになることとは、天と地ほどの差があるのだ。ほとんどの帰国子女は「ペラペラ」には到達できても、英語で抽象的思考はできない。

アメリカ人の友達とも、会話は出来ているし、学校生活においても目立ったトラブルはない。近所のアメリカ人も、学校の先生も、「あなたの英語はとても素晴らしいわ」といつもほめてくれるので、英語は大丈夫と思い込んでしまう。アメリカにいる人々は、励ましの言葉をかけるのが実にうまい。子どもは、自信を持って英語を使うことができる。と同時に、子どもの「自信」はすぐに「過信」に変わるという難しい側面を含んでいる。アメリカ人は、半年や一年といったわずかな期間のうちに、とりあえず通じる英語を使えるようになったことに驚いているのだ。しかし、褒められた子どもは、「英語をマスターできた」と受け止めて、有頂天になってしまう。
(中略)
「英語をペラペラ話せる」ようになることはそのための大事な「通過点」であることは間違いないが、「到達点」ではない。
「日常会話言語」を習得したレベルに甘んじてしまい、「教科理解言語」をないがしろにしたままだと、子どもは、日本語も英語も「教科理解言語」の面で不完全な状態、いわゆるセミリンガルになってしまう。
子供本人もそして親も「英語がペラペラになった」と思った時が、実は正念場なのである。

「英会話ができる」ことと「年齢相応の英語力が身につく」こととは、まったく違うことに留意しなければならない。年齢相応の英語力など、簡単に身につくはずがない。そしてそれが身につくまでは、バランス・バイリンガルには決してなれない。

そして、日本語の問題。

しかし、なんといっても最大の問題点は、現在米国で行われているESL教育のほとんどが、英語を学ぶとともに、母語である日本語を伸ばすという配慮に欠けていることだ。ESLの先生の殆どは、アメリカに来たのだから、家庭でも英語に触れる機会を増やし、一日も早く、英語力を確立するようにとアドバイスする。このやり方は、英語モノリンガルになるためにはふさわしいかもしれないが、母語である日本語は育たない。
アメリカのように学校も社会も英語で満ちあふれている状況では、家庭だけが日本語を育てる拠り所である。週一回の日本語補習校の授業や週数回しか通わない塾だけでは、日本語の学習量は全然足りない。補習校や塾をペースメーカーにして、家庭で毎日、親が子どもの日本語力を育てていかなければならない。そうしなければ、子どもは、日本語を使用する機会を失い、驚くほど速く日本語の力を失っていくだろう。
毎日、毎日、子どもはこれまでとはまったく異なる言語を用いての学習と、母語の学習とを並行してやり続け、親もそれを黙々とフォローしなければならない。海外に行きさえすれば、バイリンガルの子どもを育てることができるなどという考えは、甘い幻想に過ぎない。

母語である日本語を維持するためには、毎日家庭で必死にやらなければならない。なにしろ、日本語の塾の講師自らが「週数回の塾では全然足りない」と言っているのだ。普通にやっていれば、英語でも日本語でも抽象的思考は出来なくなる。結果としてセミリンガルが大量に発生するのは、必然と言えるのかもしれない。

まとめ
  • 英語で日常会話ができるようになるのは当たり前。問題は年齢相応の英語力がつくかどうか。
  • アメリカの環境(過渡期バイリンガリズム)では日本語の維持は非常に難しい。毎日家庭で必死に勉強することが最低限必要。