(小野 1994) バイリンガルの科学 どうすればなれるのか? 第1章

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この本の著者は、海外在住・帰国子女の言語力と知的発達に関する研究の専門家。

第1章 バイリンガルの世界

言語の習得

母語の習得
そして、2歳から10代の初期、思春期までの間、誰でも第一言語である母語習得の可塑性が保たれ、各個人はこの期間、周囲からの言語刺激に対して極めて鋭敏に反応し学習が続けられます。さらに、言語を無理なく高度なものに発達させていく上で必要な、いくつかの部分的過程を複雑にコントロールする脳の言語機能の体系化が進み、子どもは生まれながらにして人間社会に生活しているだけで自然に学習し言語を習得していくのです。この間は、いわゆる可塑性を維持している期間といえましょう。
その後、思春期を過ぎると、自動的な体系化と言語の発達に求められている生理的機構への適応能力は急速に低下します。脳は、あたかもこのようにあらかじめプログラミングされているかのごとくに作動し、知的発達の基本となる第一言語(母語)の言語体系のうち、この時期までに習得されなかったものは、通常、一生涯欠陥を持ったままとなってしまいます。しかし、あとにも述べるように新たな語彙の蓄積は生涯にわたって可能です。

ことばの感受期
アメリカのレネバーグ Lenneberg 氏は失語症の回復過程が、成人と子どもでは違う経過をたどることを主な根拠に、ことばの学習にも感受期があることを見つけました。失語症というのは、脳になんらかの損傷を受けたためにことばに障害をきたす症状で、脳卒中などの後遺症として知られていますが、子どもでもこの症状が現れることがあります。成人では数ヶ月たって症状が固定してしまうと大変治りにくいもので、たいていは一生何らかの症状を抱えていくことになります。しかし10歳以前くらいの子どもでは、ゆっくりではあっても長い間回復傾向をみせ、最終的にはきれいに治ってしまう場合も多いのだそうです。レネバーグ氏はこれが言葉の学習の感受期によるものだと考え、人間の言葉の感受期はほぼ10代の初めころまでとしたのです。
この説には異論もありますが、いずれにしても10歳頃までがことばを学習しやすい時期だということは確かのようです。ただし、ここで考えているのは第一言語、つまり母語のことだけで、第二言語については、後に述べるように、また別に考えなければならないことに注意してくだだい。

人はものを考えるとき、知的作業をするとき、頭の中で母語を使っている。十分な知的発達のためには、母語を確立する必要がある。しかし、脳の可塑性が保たれている間しか、母語の習得はできない。つまり10代初期の思春期までの間に、母語を完成させておく必要があるのだ。欠けた部分は、一生欠陥として残ってしまう。この時期までに母語をどの程度確立できるかによって、その人のその後一生の知的レベルが決定されるのだ。

言語間の距離とバイリンガル

日本語と英語のバイリンガル
では、子供の場合、どうして日本語と外国語、特にインド・ヨーロッパ言語とのバイリンガルには自然にはなりにくいのでしょう。
その原因の一つは、単語の語源ばかりか文法や語順など言語そのものの構造が大きく異なる事にあります。
さらに二つめは、母語の基礎が完成していない小学生の年齢で学習言語が変化し、身につき始めると、前の学習言語は急激に忘れていきますが、新しい言語が身につくまでは、言語力を中心に発達する子どもの知的能力の発達にも大きな影響がでることが予想されます。
このことは日本人の子どもが英語圏で生活し現地校で学習する際、英語を覚える段階で日本語と英語の単語を混ぜて使ったり、語順がおかしくなる、いわゆる言語の混乱過程を経てから、その学習言語に慣れていくことからもわかります。インド・ヨーロッパ語系を起源とする言語間の距離に比べ、日本語と英語との距離は非常に遠く離れているために、その以降過程がスムーズに行われないと言語習得過程が混乱するばかりか両言語とも中途半端になる場合が多いのです。

バイリンガルが成功するか否かが言語間の距離と強く関連しているのは、疑問の余地はない。それはCumminsの2言語共有説からも明らかだ。言語間の距離が近いほど、共有部分が大きい。よって第2言語獲得のために必要な学習は少なくて済む。

カミンズの「2言語共有説」

では、実際に2つの言葉がバイリンガルの頭の中で、どのように繋がっているかということだが、まず、図を見ていただきたい。この図は、2言語が互いに関係があるといっても、表層面と深層面では関係の度合いが違っているという大きな枠組を示したものである。もちろんことばは当然それぞれ別の音声構造、文法構造、法規法を持っているから、表面的にはまったく違う2つの言葉に見えるが、その真相では共有面があるというのである。これを「2言語共有説」「思考タンク説」、あるいは氷山の形に似ているので「氷山説」と呼ぶこともある。

もうひとつ言えることは、母語の発達程度がバイリンガルの成功を左右することだ。たとえ距離の短い言語であっても母語の発達が十分でなければ、第2言語獲得に必要な部分は大きくなり、バイリンガルは成功しにくくなる。距離の遠い言語であればその傾向はより強くなるので、バイリンガル成功の確率は著しく低くなるだろう。

海外で育てばバイリンガルになれるのか?

また、私は1990年の夏から海外から帰国した児童・生徒を対象に日本語と外国語(主として英語)の語彙力調査を続けています。帰国子女のためのある英語保持教室での調査では、帰国直後の日本語語彙力が日本人の学年レベルに達している子どもは1割もいませんでした。
海外にいて日本語の力を保持するということもまた、それだけ難しいのです。

母語を確立している人が1割もいない。9割は年齢相応の知能がないということです。時代も対象もまったく違うにもかかわらず、慶應大学で帰国子女を相手にビジネス英語の講師をしている日向清人氏も、バイリンガルの9割は言語水準が標準以下と指摘しています。

そうした帰国子女は英語ができるのかと聞かれたとしたら、たしかに発音はいい人が多いけれど、一般的には水準に達していないというのが私の答えです。世間のイメージどおり、英語に不自由がなく、同世代の英米人にひけを取らないレベルの人は、例外です。しかも、日本語の方も水準に達しているとなると例外中の例外でしょう。
(中略)
実際、英語を聴き取る能力は英語に日々触れるという経験がない人と比べ、当然いいわけですし、また択一程度の英語の問題などは慣れていますから、帰国子女の大学生だとTOEICで800点、900点クラスはざらにいます。学生どうしで、誰々は「帰国」だから英語はすごい、パーフェクトだみたいな話が出るのも無理もありません。
しかし、そういった「帰国生で、すごい」学生の答案を採点したり、発音を聞く機会のある身からすれば、9割かたが水準以下です。

バランス・バイリンガルとなるための最大のハードル、それは母語の確立だと断定して間違いないでしょう。

まとめ
  • 脳の可塑性が保たれている10代初期までに母語を確立させることが、その後の知能レベルやバイリンガル成功に重要である
  • インド・ヨーロッパ語系の言語同士と比べると日本語と英語は距離が遠いため、バイリンガルとなりにくい
  • 母語の確立こそが、バランス・バイリンガル成功のための最大の障壁である