(角山, 上野 2003) バイリンガルと言語障害

バイリンガルと言語障害 (シリーズ言語臨床事例集)

III 海外での生活が生み出すバイリンガル環境

1 はじめに

中島(1998)*1が提言するように、バイリンガルが二つのことばを統合した力と捉えるとモノリンガルと比べてそれぞれがやや低くなるのは当然で、ある程度セミリンガルは自然な成行きと言える。また、どの子どもも異言語環境、バイリンガル環境に入った時に一時的にせよセミリンガル現象を経験することが分かってきた。年齢でその様相は異なるが、幼児期では環境の変化により、言葉そのものを話さなくなったり、行動に落ち着きがなくなったり、情緒的に対抗したりする。学童期の途中でバイリンガル環境に入った子どもでは、より学習言語や学業面に問題が現れやすく、渡米して英語が伸びてくると日本語が落ちていき、モノリンガルと比べると両方の言語や学習率が低い状態になるのはほぼ避けられない。

特に学童期にバイリンガル環境を経験することにより、言語力が低下するのは必然的なことである。ある程度の言語力低下は仕方がないとしても、言語力低下が無視できないほど大きくなった時が問題である。それが一時的なセミリンガル現象なのか、あるいは恒常的な言語障害に陥っているのか、判断することはできるのだろうか?

2 バイリンガル環境における子どもの言語習得

(1)英語
さらに、現地校やESLといった学校現場の評価だけではL2の習得については把握できない例を挙げる。渡米3年目の女子中学生であるが、アメリカ人の友達とは電話で2時間でも3時間でもおしゃべりできるのに、授業で習う新しい概念が英語では全然理解出来ない。テストのための知識が英語ではまったく覚えられないという生徒の相談を受けたことがある。この例は非常に極端であるが、生活言語としての英語は習得できるが、学習言語としては身につかない、つまり、ひとつの言語(英語)で二つの局面(生活のための言語と学習のための言語)が乖離しうることを示している。

「生活言語」と「学習言語」の習得はまったく別と考えなければならない。日常会話がペラペラできるからと言って、年相応の言語力があると勘違いしてはいけない。

(2)日本語
海外に滞在している日本人家族の子弟にとって日本語は早くから身についた言葉であり、家で日本語を話し、日本人の友だちと遊んでいる限り、母国にいるような日本語は維持されると考えがちだが、実はそうではない。滞米3〜4年目になると、どんな子どもにもある程度「日本語の崩れ」が見え始める。
(中略)
日本にいる子は本やテレビなど環境からの言語情報が豊富で、漢字を知る前から言葉やその意味に触れていることが多く、そこに漢字を貼り付けるだけという場合が多い。しかし、海外にいる子どもはそのような基礎や背景知識が乏しいため、熟語の学習は語彙を新たにひとつ増やしていくことに近い。その上、普段の会話ではあまりこういった書き言葉、抽象的な概念を表す言葉(漢語)が使われないため忘れやすく定着が難しい。中島が示すように、小学校定・中学年で渡米したケースで4年ぐらいすると読解力が落ちる要因の一つがここにある。
(中略)
しかも、両親が日本人で家庭では日本語を話す場合、子供は成人英語を聞く機会が少ないため、英語でも同様のことが同時に起こる可能性があり、その子本来の言語習得度を正当に評価していく配慮が求められる。

学童期に英語環境で3年以上学習してしまうと、日本語力の低下は避けることができない。それは漢字の読み書きが出来ないといった単純な問題ではなく、年齢相応の抽象的な概念に対応できないということであり、思考力そのものに影響する。英語学習環境で日本語をきちんと保持できる期間は2年程度であり、それが学童期における英語環境のタイムリミットと考えられる。

*1:中島和子 (1998): 言葉と教育: 海外で子どもを育てている保護者の皆様へ.財団法人海外子女教育振興財団.